雑草わんだほー

That's so wonderful♪

伏線とアイディアの糸

ほぼ日の糸井重里さんと任天堂岩田聡さんの、2007年に行われた対談を読みなおしました。

「アイデアというのは 複数の問題を一気に解決するものである」

http://www.1101.com/iwata/index.html

初っ端に提示されているこの命題なのですが、当時読んだときは全然ピンときませんでした。「そりゃアイディアは問題解決のために出すもので、できることなら複数の問題を解決できた方が素晴らしいに決まってるけれど、それは素晴らしいアイディアというものの定義のような気もするから、何も主張できてはいないんじゃないか」と。けれど今は、この命題を物語作りの話に援用してみると、すっごい分かります。分かるようになりました。
というのも、フィクションというものを空想するようになってから、ずっと神秘的に感じていることがあって。創作していると「パズルのピースがぱたぱたっと填っていく」瞬間というものが、確実に存在するんですね。いままでバラバラに思い描いていた、舞台設定とかキャラクターとか台詞とかそういうものに、一本の道筋が通っていく。あれこれ気に掛けず無秩序に散らかしていた空想のかけらたちが、最初から仕組まれていたように在るべき場所に収まっていく。それが何よりも楽しくて、今は手元の小説を書きつづけています。この感覚を読者に追体験させることができれば、それは名作ミステリー終盤の「謎が一気に回収されていく」快感が演出できるわけで、そんな大技を繰れれば苦労しねーよって話ではあるのですが、まぁ精進したいところです。
さて、何故こんな「填っていく」瞬間が発生するのでしょうか。理由の一つは、そもそも無秩序ではないということ。同じ人間の思考回路から湧いてくる空想パターンなんて限られているので自然と統一感は備わっていますよね、というわけです。これは言うなれば、……創作側の話をしているので当たり前ですが、書く能力についての話です。ではもう一つは何でしょうと問うてみるに、それは読み解く能力なんじゃないかな、と思い当たりました。


例えるならば、そうですね。これまで生きてきて「自分はドラマめいた伏線の回収をしているなぁ」なんて感じたことはありませんか? 私は何度かあります。ひょんなことで知り合った人が、後々かけがえのない役割を果たしてくれているということ。昔なんとなく囓った技術が、ぜんぜん関係なさそうな分野で役立っているということ。
でまぁ、これを運命の一言で片付けるほど私はロマンチックではないので、なにかしらの理が潜んでいるのではないかと考えてみます。そうすると、じつは理由付けの順序が逆なのかもしれないと気付くわけですね。つまり「過去から今に至る巡りが良かったから、人生に運命の流れを読んでしまった」のではなく「人生に運命の流れを読もうとしたから、過去を今に繋げられるのではないか」と。
だから、ある種の乱数に支配されている日常に好ましいドラマを見出して、その筋を補強していくこと。それが「私という人生の物語に血を通わせること」にもなるんじゃないかと、そんなふうに今は思っています。